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事件記者[報道癒着]

事件記者[報道癒着] 第7章(その2) 「送検」

著:酒井直行/原案:島田一男



第7章 (その2)
「送検」

その日の夕方、つまり18日午後5時頃。
 相沢は桜田記者クラブが入っている警視庁本庁舎2階の、同じフロアにある売店の前で雑誌を選んでいた。いや、正確には選ぶフリをしていた。
 パラパラと週刊誌をめくっていると隣に立つ人影に気づいた。
「よお。なんだ、話って?」
 美藤だった。相沢が、警視庁内で会えるかとメールしたら、ここを指定されたのだった。
「こんなところで悪いな。食堂も人目がある。そっちだって、記者クラブでは話せない内容なんだよな?」
「察しがいいな」
 相沢は雑誌を立ち読みするフリで、隣の美藤に用件だけを手短に伝えることにした。
「伊集院一郎の強制捜査、明日か明後日にはあるんだろう?」
「ノーコメントだ」
 美藤も雑誌を手に取り、頁をめくりながらすげなく答える。昨晩の森検事正の言葉を思い出していた。
「箝口令が敷かれているのは分かっている。誤解しないでくれ。オレは別に、強制捜査の日程を知りたくて呼び出したんじゃない」
「じゃあ何だ?」
「ズバリ聞く。伊集院一郎が無実の可能性はあると思うか?」
 相沢は、雑誌に目を落としたまま、美藤にだけ聞こえる声で尋ねる。
「え?」
 美藤は予想もしない質問に思わず振り向き、相沢の横顔をマジマジと見た。
「こっち見るなよ。何のためにここに呼び出したんだ」
「あ、ああ……」
 雑誌に視線を戻した美藤は、自分の心拍数が上がっているのを感じていた。3日前、五日市警察署の副署長室で突然の異動辞令を受け取ってから今の今まで、疑問にも思わなかった仮説を今、大学時代の同級生から突きつけられ、正直、混乱していた。
 捜査二課の課長補佐として出戻った以上、伊集院一郎を確実に有罪に持ち込んでみせると強く思い込んでいたせいもあったが、伊集院がシロである可能性など、万に一つもないと思っていた。
「伊集院がシロならば、地検特捜部が強制捜査をするはずはない」
 美藤は教科書通りの回答しか持ち合わせていなかった。
「美藤の立場なら、そうとしか言えんわな。だが、こっちはその線で取材をしていくつもりだ」
「……相沢は、伊集院の無実を信じているのか?」
「オレも今はまだ半信半疑だ。だけど、それを強く信じている人間がいる。オレはその男を信じているんだ」
 相沢は、手錠をかけられた岩見が自分に向かって叫んだ最後の言葉を思い出していた。
「伊集院一郎の無実を! お願いします!」
 岩見のあの叫びを捨て置くわけにはいかないのだ。
「オレの立場からは何も言えん。だが頭の片隅には入れておこう」
「ああ。そうしてくれ。忙しいのに時間を取らせて悪かったな。明日は早いんだって?」
 相沢は同級生に礼を言うついでにカマをかけてみた。
「危ない危ない。危うく頷くところだった」
 美藤は失笑した。だがそれが相沢の問いに対する答えにもなってしまっていた。
「そうか。やっぱり強制捜査は明日なんだな」
「森検事正は、オレとお前が大学の同級生だってことが気に入らないらしくてな、くれぐれも、お前には強制捜査の詳細をバラすなと釘を刺されているんだ。オレから知ったなんてこと、絶対に言うんじゃないぞ」
 美藤が苦笑しつつも念を押す。
「分かったよ。それにウチは、明日が強制捜査だってネタを知ったところで、明日の朝刊に載せるつもりはないんでね」
 相沢は雑誌の頁を閉じながら言った。
 その言葉に美藤が意外そうに、「ほお」と一言呟く。
「もし伊集院が無実なら、それこそ冤罪の片棒を担(かつ)がされるような記事になってしまうからな」
「なるほどな」美藤も雑誌を売店の棚に戻しつつ、「要するに、強制捜査で、伊集院の有罪を立証する証拠をたんまりと見つければいいだけの話だろ。オレは見つける気満々で捜査するだけだ」と言い切った。
 そして相沢は同級生と別れた。

 厳しい箝口令が敷かれていたとはいえ、様々な取材ルートを持つ各新聞社の事件記者たちはそれぞれ、強制捜査が明日早朝から行われるとの情報を掴んでいた。ところが、意識的に記事にしないと早々に決めた東京日報以外のどの新聞社も結局は、明日19日の朝刊に『今日にも強制捜査か』という記事を載せないことになった。それは全て、森検事正の計算され尽くした戦略が功を奏した結果であった。
 18日の夕方6時、東京地裁の自分の執務室で、届けられたばかりの新聞各紙の夕刊紙面に、明日の強制捜査の記事がないことを確認するや、森検事正は、警視庁広報課を通じて、新聞各紙のキャップたちを集め、囲み取材を受けると申し出たのだ。
 1時間後の午後7時。警視庁広報課会議室に集められた桜田記者クラブ所属の新聞各紙のキャップたち、つまり東京日報の相沢、新日タイムスの熊田、毎朝新聞の鶴岡、中央日日の浦瀬、そして毎夕新聞の市村を前に、森検事正はいきなり、明日早朝からの強制捜査の詳細を発表したのだ。
 その上で森検事正は、「新聞各紙においては、この情報を決して明日の朝刊に載せないことを約束してほしい」と半ば強制とも思える言い回しでキャップたちを見回した。
 これに反発したのが、瞬間湯沸器との異名を持つ閻魔大王こと中央日日の浦瀬キャップだった。
「承服しかねますな。報道協定は、誘拐事件で人質に生命の危険が迫っている場合などに限られているはずですが」
 岩見の逮捕でずっと肩身の狭い思いをしていたその裏返しなのか、それとも怒鳴る相手を鉄格子の向こうに取られた腹いせなのかどうかは分からないが、浦瀬が久しぶりに喜怒哀楽の怒の感情を爆発させる。
「これは報道協定ではありません。あくまでも地検特捜部と警視庁捜査二課からの捜査協力要請、お願いです」
 森検事正はそういう反論も想定していたのだろう、あくまでも冷静にその理由を話し始める。
「新聞朝刊が配られ始めるのは早い地域で早朝4時。それを見た伊集院一郎の関係者が、強制捜査突入の前に証拠物を処分しないとも限りません。その対策なのです。協力してもらう代わりといっちゃあなんですが、新聞各紙には、強制捜査の際、分担して密着取材に入っていただく。それでいかがでしょう?」
 そこまで言われて反発できるキャップがいるはずもない。結局、森検事正の提案通り、新聞各紙、明日の朝刊に強制捜査の記事は載せず、代わりに、強制捜査の現場に記者も同行し、現地取材できるということで話がついた。
「これが新聞各紙の強制捜査現場の分担表です。みなさん、ご確認ください」
 そう言って森検事正は、あらかじめプリントアウトしておいた同行取材マスコミリストをキャップたちに配る。そこにはどの新聞社、どのテレビ局が強制捜査のどこを現地取材できるかが事細かく書かれてあった。
「結局、森検事正の計算通りにオレたちは働かされるわけか」
 囲み取材を終え、記者クラブに戻ってきたキャップ一同はうんざり顔でソファーに座り込む。開口一番にボヤいたのは中央日日の浦瀬だ。
「仕方ないな。強引にスクープ記事にして、明日の強制捜査で汚職の証拠が何も出なかった日には、新聞社のせいにされないとも限らん。下手すりゃあ、地検の司法記者クラブの出入り禁止を言い渡される可能性もあるしな」
 新日タイムスの熊田がヤレヤレと背伸びをする。
 実は、警視庁記者クラブにしても、地検の司法記者クラブにしても、形としては、警察や検察の厚意によって情報を提供してもらっていることになっている。したがって、警察や検察のご機嫌を損なうと、期限付きではあるが、出入り禁止を言い渡されることがあるのだ。
「それにしても、せっかく明日の朝刊一面は強制捜査の記事で埋められると喜んでいたんだがなあ。デスクにまた嫌味を言われるな」
 毎朝新聞の鶴岡のため息に、他のキャップたちも「どこも同じだ」と苦笑する。
「それにしてもあのリストを見たかい? あそこまで用意周到に準備されちゃあ、こっちは意見を言うタイミングさえ削がれちまった。あの森って検事正、なかなか食えない男だな」
 熊田の失笑に、浦瀬が同意しつつ、ふと気づいて周囲を見回した。
「リストといえば、毎夕さんはうまいことをやったもんだね。どんな手を使ったのやら」
 浦瀬は、部屋の中に毎夕新聞の市村の姿がないことを分かった上で皮肉を言う。
 実は、渡された強制捜査の同行取材マスコミリストの中で、ほとんどの現地取材は、1ヶ所につき、テレビ局1社と新聞社1社か2社という組み合わせとなっていたが、唯一、今回の本丸ともいえる伊集院一郎の公設秘書である露木功一の自宅への強制捜査に同行できるのは毎夕新聞1社のみとなっていた。
 実は、この公設秘書の露木こそが、伊集院一郎の汚職事件のキーパーソンなのである。実際に贈賄側から賄賂とされる現金を受け取った張本人なのだ。
「ほら、例の毎夕さんがスクープした、露木が書いたとされる1億円の領収書や現金を入れたとするスーツケースの写真、あのネタを掴んで記事を書いたご褒美ってことなんじゃないのかなあ」
 熊田の推理に他のキャップたちも納得顔で頷いた。
「ま、いずれにしても、明日は記者たち総動員で早起きになります。今日は早い内に店仕舞いといたしますか」
 それまでずっと黙っていた相沢が締めの言葉を言ったことで、キャップたち一同は腰を上げ、それぞれのブースへと戻っていった。

 ちょうどその頃、徒歩で警視庁から東京地検に戻ってきた森検事正が、後輩検事の竹井の執務室のドアをノックする。
 竹井は30代半ばで、森とは一回りほど歳の差がある。
「森検事正、どうされましたか?」
 事件調書を読み込んでいた竹井が突然入ってきた先輩検事に驚き、直立不動で出迎える。
 検察官の職務権限を定める検察庁法によれば、検察官は、担当する事件に関して、独立して事務処理し、決定する権限を持つとされている。これは、検察官一人ひとりが、独任制官庁として強い執行権を持ち、たった一人で、逮捕、起訴、裁判までも行えるという意味だ。一方で、検察官は上司の命令に服従しなければならないともされており、その世界は体育会系の縦社会並みに厳しいものだともいわれている。
「竹井くんは今、どの事件を担当しているんだっけ?」
 森が飄々とした口ぶりで尋ねる。
「昨日発生した事件記者同士の殺人事件です」
「ああ。例のアレか……弱ったな」
 森がポリポリと頭を掻いた。
「なにか?」
「明日の伊集院一郎の強制捜査の件なんだが、特捜部と警視庁の捜査二課が合同でやるんだがね、どうにも人手不足でね。もし手が空いているなら、明日一日だけでも手伝ってほしいと思っていたんだ」
 上司の命令は絶対である。竹井はすぐさま決断する。
「かしこまりました。ではお手伝いに伺います。集合は早朝4時30分でしたよね」
「うん。そうしてくれるか。助かるよ。でも、そっちの案件は大丈夫なのか?」
「ええ。問題ありません。被疑者の岩見孝太郎が逮捕されたのが本日の朝8時24分でしたから、送致期限は48時間後、つまり明後日の20日朝8時23分です。黙秘を続けていることもあり、警察の取り調べが難航中と聞いております。ですから身柄送検はギリギリの明後日の早朝8時を予定しております」
「ん、ちょっと待てよ。それじゃあダメだ」
 突然、森が何かを思い出した。
「なんでしょうか?」
 竹井が不安げに尋ね返す。
「被疑者、岩見孝太郎が通常逮捕されたのはなるほど今朝だ。だが、彼は確か、前日の昼前に警視庁に出勤しようとしたところを、任意で身柄を確保されていたはずだ」
 森の言葉に、竹井が警察から送られてきている調書をめくる。
「検事正のおっしゃる通りです。昨日の17日午前11時3分に任意ではありますが身柄を拘束されております」
「昨晩はどこに泊まったとなっているか分かるかね?」
「ヤバい……警視庁3階の留置場独房7号室となっております」
 竹井が調書を読みつつ舌打ちする。
「マズいな。となると、送検を早めるしかない」
「ですね」
 森の言葉に竹井も頷いた。
 実は、刑事訴訟法第二〇三条には、「被疑者が身柄を拘束されてから48時間以内に送検せよ」と書かれているだけで、それが逮捕から48時間なのか、任意とはいえ逃げられない形での身柄を確保されてからの48時間なのかの明言はされてはいない。
「相手はブンヤだ。法律違反だなんだと騒がれても困る。特に、警察が、逮捕前にもかかわらず、岩見を一晩、留置場に寝かせたのは大きなミスだ。これじゃあ明らかに、任意どころか強制だ」
 森が忌々しそうに吐き捨てる。
「かしこまりました。では深夜になってしまいますが、今夜中に送検手続きに入るよう、警察の方には連絡しておきます」
 竹井がすぐに頭を切り替える。検察官を長年やっていれば、こんなことは日常茶飯事に起きてくる。優秀な検事は、その都度素早く判断し、軌道修正する力を有している。
「うん。頼む……あ、このことはマスコミには内緒にしておいた方がいい。特に警視庁の記者クラブ連中にはあまり大騒ぎしてほしくないんだ」
「彼らは当事者ですからね。かしこまりました」
 竹井が森に深々と頭を下げる。
「よろしく頼むよ」と森は竹井に片手を上げ、執務室を出て行った。
 竹井の指示により、岩見の身柄は、19日の未明1時30分に神田警察署から東京地検へと送致される。
 てっきり翌20日の朝に身柄送検されるとばかり思っていた記者クラブの面々は、東京日報も含め、誰もこの情報を掴んではいなかった。
 送検の時間も、記者クラブの連中にとっては最悪のタイミングだった。というのも、朝刊の最終締め切りは午前1時15分と新聞協会からの申し渡しで細かく定められている。この時間を1分でもオーバーしたネタは、朝刊に載せてはいけない決まりがあるのだ。裏を返せば、毎夜、新聞記者たちはこの時間ギリギリまで原稿に向かい合い、戦っているが、1時15分を過ぎた瞬間、ようやくその職務から解放され、束の間の仮眠や休憩を取ることが許されるのだ。

 6月19日午前3時を少し回った頃だった。
 相沢は、警視庁記者クラブの東京日報の狭いブースの中で、背もたれを倒し、仮眠を取っていた。奥の小さな長椅子には八田がタオルケットにくるまって寝息を立てている。2人とも早朝からの強制捜査の準備のため、昨日から泊まり込んでいた。伊那も、記者クラブの仮眠室の2段ベッドで熟睡中だ。山崎と浅野も、地検の司法記者クラブの方でやはり待機し、仮眠中のはずだ。
 そんな相沢の浅い眠りを電話の呼び出しベルが破る。
 相沢はすぐに目を覚まし、スマホに向かう。
「へいへい相沢。お、浅野のダンナかい。どうだい、そっちの方は? 強制捜査の準備が始まった頃かい?」
 なんだか様子がおかしい。普段は冷静沈着なはずの浅野がパニックになっている。声が上ずっていてよく聞き取れない。
「どうしたんだよ、ダンナ。もっとゆっくり喋りなさいよ……え、ええっ!?」
 何事かと八田も起き出し、相沢の隣で聞き耳を立てはじめる。
 相沢は我が耳を疑った。
 そして愕然とする。
「身柄送検されたガンさんが東京地検から脱走した!? そんなバカな!?」

《第7章 終わり》

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