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さぁ、お遍路へ行こう。

第六回 菩提の道場 (40)観自在寺~(65)三角寺

東京にお住まいの関本拓司さんが四国八十八ヶ所の歩き遍路の体験を紀行文としてまとめられました。様々な体験の中で、率直に感じた想いを書き綴っています。

遍路道、お遍路への思いやり

1.遍路道の違い

高知県との県境松尾峠を越えると、遍路道が歩き易くなり、がらっと変わるのに驚いた。高知県側は、木の根っ子、岩、石がゴロゴロして道幅が狭かったが、愛媛県側に入ると、道幅がひろく平らで、更に木の柵まであり遍路道が遊歩道のように整備されていた。また、峠を下ると愛南町の遍路小屋とトイレが設置され、案内シールも随所にあり、お遍路に対しての、思いやりが感じられた。

近くで庭の手入れをしている方と話しをしていたら、帰り際に美生柑をお接待で頂いた。

2.お遍路への思いやり

ある旅館の主人にこのことを話すと、他のお遍路からも同様のことを聞くとのことだった。 高知県は、明治時代に中央政府に登用された人が多く、廃仏毀釈をやり、仏教への思い入れが弱いのだと聞かされた。今まで高知県人から多少距離を置かれていた感があったが、愛媛県人はお遍路に優しく、国が変わったように感じた。

この思いは、愛媛県を歩き続ける度に再確認された。国道は必ず歩道が併設され、国道に沿った側道が遍路道になっており、峠を越える道がありトンネルを通過せずに歩けた。案内シールもきちんと貼られていた。また、休憩所が自治体、民間で設置され、トイレも困ることが少なかった。お接待も毎日のように頂き、峠を向かう遍路道で、若い方から500円を差し出されたのには驚いた。郵便局の前でもお遍路さんと呼び止められ、御賓銭だよと小銭を頂いた。愛南町では、子供たちのおせったい畑があり、内子町では、通学途中の小学生から「おはようございます」と挨拶もされた。横断歩道の前で車も停止してくれる。街全体でお遍路への優しい思い入れがあるように感じた。

 

3.気持ちの解放

瀬戸内海の温暖な気候や穏やかな人柄に接し、優しく包まれると、気持ちがほぐれ心が解放されていくのを感じる。気持ちに余裕が生まれたようだ。スケッチをしたい気持ちが湧き起こり、毎日のようにスケッチを描いた。

 

瀬戸内海は温暖で、雨も高知に比べ激しく降らない。何度か雨の中歩いていると、雨に親しめるようになった。田んぼの稲、紫陽花、雨蛙、沢蟹等みんな雨を喜んでいる。ウグイスだって小雨になるとホーホケキョと鳴き、お遍路を激励してくれている。人間だって雨のお陰で水が飲めている。雨を厭わず晴れと差別しない境地になってきた。菅笠に響く雨音が心地良い。

 

4.感謝の心

遍路道をー人で歩いていると、自分一人のために遍路道を整備して頂き、案内板を置いてくれていることに感謝する気持ちが湧いてくる。自分一人の力で歩けている訳ではない。多くの方々が、遍路道を整備し、案内板を置き、へんろ小屋を建て、トイレを設置してくれているから歩けているのだ。

そして、出会う人から「お疲れ様、気をつけて」と激励され、お接待も頂ける。精神的にも一人でなく、修行の身のお遍路を見守ってくれているのだ。

Facebookにお遍路の状況を投稿すると、皆さんから声援が届く。札所を回る度に自然と自分を声援して頂いている方々に感謝し、皆さんの健康を祈願している。

遍路宿について、お風呂を案内されると自然に「ありがとうございます」の一言がでてくる。御飯の案内がくると、やはり「ありがとうございます」と遍路宿の方に感謝の気持ちが自然に出てくるようになった。

 

この心地良さを日常で得るには?

 

四国病に掛かったら、またお遍路に出ないとこの心地良さを得られなくなってしまう。再度お遍路へ出なくてもこの心地良さを得るにはどうしたら良いのか、これが課題だ。

 

5.81回ピースボート船友との対面

船友の彼は私の到着を春から待っててくれ、三坂峠を越え松山市に入った46番浄瑠璃寺で、予定になかったが出迎えてくれた。カメラを手にお遍路姿を激励された。プロのように望遠カメラで連写され、モデルになった気分だ。

砥部焼の絵付けにもご案内頂いた。絵付けは初めてであったが、重ね塗りで色の濃淡を出すことに気付いた。翌日は、予定通り48番西林寺で彼と対面し、また寺や遍路道で激写された。彼の工房にも行き、蕎麦打ちをしてから自宅へ行くことになった。

こねたり、伸ばしたり、カットと手際よく蕎麦打ちをされ、友人用も含め10人前打たれた。打ちたて、茄でたてのざる蕎麦は心がこもっていて美味かった。最高のお接待だ。友人から頂いたアマゴの唐揚げも付いていてご馳走だ。近くの温泉に行ったが休みの為、坊ちゃん劇場のある見奈良温泉へ行くことになった。ゆっくり温泉に浸かり、疲れが取れた。夕飯は奥さんと話しながら焼魚等家庭料理を頂いた。

 

 

6.坊ちゃん劇場でのミュージカル鑑賞

松山では、休養日を入れ、坊ちゃん劇場ヘミュージカル「お遍路さんどうぞ」を観に行った。船友の彼がメルパルク松山まで迎えにきてくれた。小学校や町内会の団体が来ていて劇場は満席だった。

「生きる意昧は?」をテーマにしたミュージカルで、人間の営みは何万年も続いているが、先祖からのバトンを後継者に引き継ぐこと、そして愛する者を守ること(親が子供を育てるなど)がその意味のようだ。お遍路の解説をを音楽を交えて紹介していた。

空に雲、海に波、山に森、道に人との繋がりを映像で表現していた。お遍路の意味を、急がば回れ、うさぎと亀、物の見方を変えてみる等などを引き合いに出し、観客に考えさせていた。

 

7.元取引先のご夫婦との対面

元取引先の会社のご夫婦には坊ちゃん劇場へ迎えにきて頂いた。会社でお茶を頂いた。四国で勤めていた時代にお世話になったお礼に伺え、気持ちの整理がついた。そのご夫婦の別荘が伊予市にあり、遍路では歩いていない地域だったので、上灘の別荘へ伺った。青島など、伊予灘が曇っていたが望めた。砥部焼の産業会館にもご案内頂き、土産に風鈴を頂いた。夕飯は、石手寺近くの寿司屋へ連れていって頂いた。店の前に「お遍路さん、お休み下さい」の看板が付いたベンチが置いてあり、前日休憩した店で、印象が良かった。たっぷり、友知人と過し、いい休養日を持てた。これで14人の方とお遍路中に対面できた。

 

8.浄土宗真光寺副住職との対面

今治の大西町に、ピースボートスタッフだった方のお寺があり、遍路道沿いだったので、立ち寄った。前日まで、総本山の京都知恩院に行っていたということで、お会いできたのは縁があるなと感じた。お遍路で感じたことを話せ、副住職に聞いてもらえて良かった。先祖の供養と、これからの遍路の安全を祈願して頂いた。初めて浄土宗の読経に参加し、木魚を叩きながら南無阿弥陀仏と念じた。念珠も頂き、早速腕にはめた。外へ出ると、阿弥陀如来が光を照らしてくれたのか明るくなった気がした。気分は爽快で初心に戻り、気持ちが穏やかになっていた。真光寺に立ち寄って良かったと思えた。

 

9.誕生12干支毎の仏様

 観自在寺に誕生12干支毎の仏様が並んでいた。丑年は虚空蔵苔薩で力強いぎじの仏捨だ。太龍寺や最御崎寺のご本尊が虚空蔵菩薩だ。

10.仙遊寺宿坊「創心舎」

精進料理を出す宿坊として名が通っていた。心を込めた精進料理は美味しかった。朝もお粥で本恪的な料理を出された。この日は、宿泊者は私一人で広い宿坊を独り占めして申し訳ない気がした。13:00頃到着したが、部屋に通して頂き、お茶、お菓子も頂いた。

靴を乾燥させる器具もあり、絵葉書をお接待で頂いた。辰濃和男著「歩き遍路」に小山田住職が登場し、四国霊場を世界遺産登録する運動をしているようだ。ざっくばらんで親しみがあった。ピースボート44回に乗船しており、今の副住職を見つけたようだ。朝のお勤めは、副住職がみえ、般若心経の読経とお焼香をした。法話は私がなぜ遍路しているかとの問いがあり、「70歳からの生き方を探している」と笞えた。その他、お遍路で感じたことを話した。

世界遺産登録については、寺、遍路道より、お接待の文化で世界、日本の人との交流する地域文化の保存という趣旨には賛同できた。後日、スーパーのマルナカ新居浜本店で四国88ヶ所霊場世界遺産登録促進の署名をした。

 

 

11.愛媛でのお接待

予期せぬ時に予期せぬお接待を頂くことにいつも驚いた。愛媛は登校時に小学生から挨拶されたり、横断歩道では一時停止して頂け、お遍路が一目置かれており、お接待文化が継承されている気がした。

遍路道では、美生柑、500円、100円、お賽銭127円、栄養ドリンク、夏みかん、ミニトマト、パンを。接待所では、生オレンジジュース、煎餅、最中、柑橘類、トイレ、お花畑を。宿では、洗濯、弁当、5円ストラップ、栄養ドリンク、お昼ご飯、コーヒー、ミネラルウオーター、マスク、ばんそうこう、ロッカー、おしゃれ袋、送迎、ティッシュ、タオル、缶茶を。店では、飴、チョコ、いなり寿司、和菓子、マッチを。寺では、雨宿り、和菓子、絵葉書、お茶を。お遍路さんからは、塩タブレットを、友人からは焼肉、手打ち蕎麦、夕飯家庭料理、送迎、念珠、砥部焼絵付け、風鈴、撮影、寿司、ピザ等を、毎日のようにお接待頂いた。

 

12.遍路ころがしの横峰寺

徳島の焼山寺、太龍寺、高知の岩屋寺、愛媛の横峰寺、香川の雲辺寺が遍路ころがしと言われ、参拝するのに大変な寺だ。横峰寺は、標高30メートルから標高745メートルまで登り、また10キロ下山しなければならない。荷物を軽くする為、雨具、参拝グッズを除き全ての荷物を宅急便で次の宿に送ってしまった。前日の宿で同宿した2度目のお遍路さんに同行をお願いした。やはり、一人より心強く、仮に怪我をしても安心だった。彼のペースに付いて行くことで一人より早く登れた。山頂の横峰寺に着いた時には感激した。清水も飲め、疲れが癒された。下山は、やはり同宿の方が後から到着し、彼に同行した。下りも含め宿に着いた時には大分疲れていたが、宿で出されたボリューム感のある豚しゃぶを完食し、ビールが旨かった。 

13.お遍路歴105回の方と遭遇

横峰寺を打ち終えたビジネス旅館小松で、お遍路歴105回の方と同宿した。現在は高野山で、中位クラスの尼さんをしていて、金剛峰寺で法話をしたり全国で公演をしたりしているとのこと。今回は、石鎚山の山開きに参拝する為にここで宿泊しているようだ。酒がお好きで、弘法六師は、酒を般若湯として薬とし、やかんに入れて飲みなさいとの記載が遺言の中にあるのを調べたとのこと。煩悩を捨て去ることはないとの話しも伺えた。

やはり遍路宿はいろいろな遍路と出会え、情報交換の場だ。

14.善根宿「萩生庵」

新居浜市中萩にある萩生庵の庵主に会いたくて、この日だけ宿の予約を入れず善根宿「萩生庵」に泊めて頂くことにしていた。途中出会った若者の遍路も萩生庵で休憩したいとの意向があり、早めに二人で萩生庵に着いた。先着がいたが、戻って来た時は、仙人風で何度かここに泊まったことあるようで、本が好きでずっと本を読んで休憩していた。中々庵主が出て見えないので、どうしたのかと心配していたら、娘さんがみえ、おばあちゃんの様子を見に来たようだった。娘さんに自己紹介したら、おばあちゃんのところに案内して頂き、お土産の坊ちゃん団子を渡し、少し話せて良かった。泊めて頂く許可も頂き、畳のベッドが5つあり、その1つのスペースを貸して頂いた。娘さんが扇風機を出して頂き、お陰様で、ガレージを改装した部屋の中でも過ごしやすかった。トイレ、洗面所、蛍光灯、毛布もあり、キャンプより条件が良かった。若者の遍路も足を怪我していて、今日は宿泊することになり、―緒に広瀬公園、新居浜温泉パナス、ジョイフルにいってゆっくりした。翌朝、彼は5:00に出発し目が覚めた。訪問客がいたようで、庵主が付き添いの方と見送りにでてきた。私も外にでて挨拶し、写真を撮らせて頂いた。多くの遍路を世話してきて、遍路道一番の仏様と言われている表情は素晴らしく、慈悲溢れたお姿を拝見することができた。民間の善意で宿が提供されており、お陰様で多くの遍路が助けられているのが理解できた。 

15.迷いからの脱却

80日間歩いて、体験し考えたことから、そろそろ考えをまとめる時期にきている。あるがままを差別することなく受け入れ、ほどほどにとらわれるくことなく、物の見方を変えてみることで、こだわらず心配しないで生きる般若心経の教えを体得できただろうか。雨を嫌がらず暑さを厭わない気持ち、何が何でもやり通さないといけないのではなく、成るように成るという境地、違う立場で見ることができているだろうか。自分一人の力で歩けているのではなく、多くの自分をサポートしてくれている方のお陰で歩けていることに感謝する気持ちは持てている。香川でこれらの教えを悟り、穏やかな気持ちになれることを期待したい。

 

四国八十八ヶ所 紀行文 ~歩き遍路96日間の旅~

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