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事件記者[報道癒着]

事件記者[報道癒着] 第7章(その1) 「送検」

著:酒井直行/原案:島田一男



第7章 (その1)
「送検」

 相沢が留置場から記者クラブへと戻ってくる。
 岩見の釈放を今か今かと待ち構えていた八田は、入ってきた相沢の沈んだ顔を見て、即座に察し、息を呑んだ。かける言葉が見つからなかった。
 記者クラブの共有スペースのソファーには、出勤してきたばかりの各社の面々が勢揃いし、座っていた。毎度のことながら毎夕新聞の市村キャップの姿だけはなかった。
「おはようございます。皆さんお揃いですね。ちょっといいですか」
 相沢が一同に声をかける。「こんなネタ、ウチだけが掴んでいても、ちっとも嬉しくないんでね、みんなに伝えようと思うんです」
「相さん、特ダネを分けてくれるんですか? 日報さんは気前がいいですねえ」と新日タイムスの荒木がおちゃらけるが、それを上司の熊田キャップが叱りつける。
「相さんの顔を見ろ。喜ぶ話じゃないことぐらい察しろバカ」
「……相さん、まさか、ウチのガンのことじゃあ、ないですよね?」
 中央日日の浦瀬キャップが恐る恐る切り出した問いに、相沢がため息をつきつつ頷いた。
「今、ムラチョウから直接聞いたんですが、午前8時24分にガンさんが殺人容疑で通常逮捕されました」
「ああ……」
 と誰からともなくため息が漏れ、記者クラブに重い静寂が支配する。
「通常逮捕ってことは、裁判所からの逮捕状が出たってことですよね? 証拠もないのにどうして?」
 毎朝新聞の鶴岡キャップが重要な部分に気づき、声を上げる。
「ガンさんの犯行を証明する決定的な証拠が出たらしいんです。現場に遺されていた犯人のモノと思われる2種類の遺留品のDNAと、ガンさんが任意提出したDNAが完全に一致したとのことです」
 相沢は、自分が中央日日新聞の顧問弁護士を通じて岩見の身元引受人として接見しに行ったことを隠しつつ、それ以外の接見室で見聞きした事実を全て話して聞かせた。
「DNAが一致……」
 誰かが観念したように呟いた。それは、現代の犯罪捜査において、水戸黄門の印籠の如き力を持つ最強ツールともいえた。
「ばっきゃろー、ガンのヤツ、なんてことをしてくれやがったんだ!」
 浦瀬が吠える。彼の全身は怒りと悲しみで震えていた。
「ガンさんは何て言っているんですか? まさか春乃ちゃんを殺したことを認めているんですか?」
「DNAが一致したんだ。否認しようが黙秘していようが関係ない。ガンさんの仕業で決まりだろう」
「お前、ガンさんを信じないのか?」
「信じる信じないの話じゃないでしょう!」
「その通りだ。物的証拠がある以上、ガンさんが殺したんだよ」
「なんだそれ。そんな断定はおかしいですよ」
 記者連中が騒然と意見をぶつけまくる。誰の意見を誰が否定し、誰が肯定しているのかさっぱり分からないほど、記者クラブは混乱している。
 そんな状況に業を煮やしたように八田がパンパンパンと数回両手を叩いて、注目を集めると、
「意見の対立は新聞紙面でやっとくれ。ここで言い争いするほど不毛なことはないじゃろ。それよりなにより、ワシら事件記者にとって、今、やらなければならんことは一つしかないはずじゃ」
 八田は一人ひとりを見回しながら言い切る。
「真実を明らかにすること、じゃろ?」
 記者たちが一斉に頷いた。次の瞬間、各社のキャップたちの怒声が響く。
「アラさん! 科捜研に行って、一致した2つのDNAっていうのが何と何なのか、確認してきてくれ」
 新日タイムスの熊田キャップが荒木に命じると、毎朝新聞の鶴岡キャップも負けじと亀田に命令する。
「カメっ、ムラチョウに囲み取材の申請をしてこい。広報課からの大本営発表がない以上、それぐらいしてもらわんと記事にならん」
 一方、所在ないのは中央日日の浦瀬キャップだ。桜田記者クラブ詰めの岩見が殺人犯として逮捕されてしまった以上、すぐに動ける手駒がない。東京地検の司法記者クラブの方に詰めている白石記者と国分記者を呼び寄せる手はあるにはあるのだが、彼らは彼らで、強制捜査が迫っていると噂される都議会議員、伊集院一郎の汚職事件取材で手一杯なのだ。
 そんな浦瀬に同情したのか、八田が背後から浦瀬の肩を軽く叩いて、
「ウラさんや、中央日日はいろいろと取材しづらいじゃろ。全部丸々とはいかんじゃろうが、ウチからも情報は流させてもらうよ」
「八田さん、すみません」
 浦瀬が頭を下げる。「しかしウチも新聞社の端くれです。ウチの記者が逮捕されて、このまま指を咥えているつもりはありませんよ。特にガンのヤロウが殺したと自供していない以上、オレはガンを信じてやるつもりです」
 浦瀬が唇を噛み締めながら八田とその後ろにいる相沢に訴える。
「ウラさん、その意気その意気。ウチもガンさんの無実をどこまでも信じるつもりです」
 相沢も浦瀬に強く頷き返した。

 正式に逮捕されたことで、岩見の身柄は、警視庁から捜査本部が置かれている神田警察署へと移送されることになった。当然、その情報は記者クラブの連中にも入ってきていた。
 新聞記者が仲間の新聞記者を殺害するというセンセーショナルな事件ということもあり、世間の関心度も高いこの事件をマスコミが放っておくはずがない。各新聞社の社会部デスクから桜田記者クラブの面々には、『移送される岩見の姿を写真に撮れ』という命令が下された。それは東京日報も例外ではなかった。
「誰に行かせるかね?」
 東京日報のブースで、八田が、本社社会部デスクのサブちゃんこと西郷三郎からの電話応対を終えた相沢に尋ねる。
「伊那ちゃんに行かせましょ」
 相沢が軽い調子で答えた。
「え? 伊那ちゃんは昨日入ったばかりだぞ。そんな大役、荷が重いじゃろ。ワシも若い頃、何度もやったが、移送されていく容疑者の顔をしっかりとファインダーに収めるっていうのは相当なテクニックが必要なんじゃぞ」
 容疑者の姿を写真や映像に収めることができるタイミングは限られている。
警察関連の建物内部での撮影は原則禁止である。唯一許されているのが、建物から駐車場に出て護送車に乗り込む、もしくは反対に護送車を降りて建物内に入っていく、それぞれ距離にして数メートル、時間にして数秒というわずかな瞬間を狙うしかない。
 警視庁本庁舎は駐車場が建物内部の地下にあるために撮影ができない以上、狙うタイミングは、護送車が神田警察署の駐車場に入り、車を降ろされた岩見が刑事に両脇を支えられつつ警察署裏口へと入っていく一瞬しかない。
 八田の心配はもっともだった。
「サブちゃんから、絶対に移送中の雁首写真を撮ってこいと強く言われたばかりじゃろう。もし、伊那ちゃんがしくじれば、サブちゃんから大目玉喰らうぞ」
 雁首写真とは容疑者や被害者の顔写真のことを指す新聞記者用語である。
「その時はその時です。経験未熟な伊那ちゃんに任せてしまった私一人が叱られれば済む話ですよ。それにヤマさんも浅野のダンナも、伊集院一郎の汚職事件の洗い直しの方に取りかかってもらっていますからね、動けるのが伊那ちゃんしかいないんです。万が一、雁首写真を撮り損なっても仕方がないということですよ」
 相沢が飄々と答えるのを見て、八田がようやく相沢の真意に気がついた。
「ははーん。読めたぞ。相さん、わざと伊那ちゃんに撮影に行かせて、雁首撮るのを失敗させるつもりじゃな。写真が撮れなかったら、夕刊に載せられないからのぉ。相さん、考えたな」
 八田が愉快そうに笑った。
「そうでもしなきゃ、さすがに正式に逮捕されてしまった以上、ガンさんの顔写真を容疑者として載せないといけませんからね。桜田記者クラブ仲間としてのせめてもの抵抗ですよ」
 相沢が神妙な顔つきで言った。

 そんな相沢の、岩見への憎いばかりの心くばりが隠されているなど露にも思っていない伊那は、よせばいいのに、大役を仰せつかったことで俄然奮起し、遠慮という言葉を知らない若者の強引さも手伝って、新聞他社やテレビ局カメラマン連中を押しのけ、神田警察署の駐車場を一望できる真正面の絶好のポジションを確保した上で、護送車から降りた瞬間の岩見の雁首写真の撮影に見事成功してしまった。
「キャップ! 撮れました! オレ、どうやら写真の才能がメッチャあるみたいです!」
 興奮しつつ記者クラブに戻ってきた伊那が差し出した岩見の顔が見事に写った雁首写真を見つつ相沢は、作り笑顔で、「ご苦労様。お見事でした」と声をかけるしかなかった。
「さてさて、どうしたものじゃろかのお」
 夕刊原稿の締切時間が迫ってきている。八田が腕組みをして目の前の相沢を見る。相沢も渋い顔で考え込んでいる。
「昨日の夕刊からの流れじゃと、当事者の中央日日と毎夕新聞は、ガンさんのフルネームを出すじゃろ。新日タイムスと毎朝新聞も、正式な逮捕となってしまった以上、出さざるをえないわな。やはりウチもそうするしかないのかのぉ」
 八田のボヤキにも似た呟きに、相沢は心ここにあらずといったカンジで、「そうですねえ」と答えるが、すぐに、「ですが……」と言い直す。
「ガンさんとの接見で、伊集院一郎の無実を証明してやってくれと頼まれた以上、やはり、今回の殺人事件と汚職事件は深くつながっていると考えていいかと思うんですよ」
 相沢が顔を上げる。それまでの、迷っていた表情とは一変し、決意の眼差しに変わっている。
「そうじゃな」
 八田も相沢の変化に気づいたようだ。
「相さん、ついに腹を括るつもりじゃな」
 八田はどことなく嬉しそうだ。
「もし汚職事件の方もシロで、殺人事件も冤罪だとしたら、今、ガンさんの氏名を容疑者として公表し糾弾することは、後々、誤報となることが分かっている記事を載せることに他なりません」
「なるほど。そういえばそうじゃな」
 八田も同意する。しかし、一方で意見するのも忘れていない。「じゃが、事件記者として、殺人事件の犯人が正式に逮捕されたことを公表せんというのもおかしな話ではあるんじゃがのぉ」
「いいえ。いくら警察が正式発表しているとはいえ、無実の人間を犯人だと公表するわけにはいきません。ウチは……ウチだけはガンさんの名前をイニシャルでしか出しません。いいですね?」
 相沢が八田を真っ直ぐに見た。
「ワシはいいんじゃが、デスクのサブちゃんがなぁ……これで2日続けての特オチ扱いになるんじゃからのぉ」
「特オチじゃありませんよ。将来、ウチだけの特ダネとなるわけですから」
 相沢が自信たっぷりに言い切った。
「うーむ。サブちゃんがイガグリ頭を掻きむしる様子が目に浮かぶわい」
 八田が困ったように笑った。本社社会部デスクの西郷三郎は、上野公園の西郷隆盛像そっくりのイガグリ頭の巨漢である。ちなみに、苗字が偶然一緒なだけで西郷隆盛の子孫ではないらしい。
「伊那ちゃん、ガッカリするじゃろうなあ。昨日に続いて、今日もスクープ写真がボツになるとは夢にも思っておらんじゃろうて。怒り出すかヘソ曲げるな、絶対」
 八田の言葉に相沢も、伊那の写真を2日連続でボツにすることを思い出したようで、「今度、ひさごで残念会を設けますよ。なぁに、やす子ちゃんがバイトに入っている時にやってあげれば、機嫌を直してくれるはずです」とフォローを約束する。

 相沢たちが夕刊記事の仕上げに取りかかっている頃、神田警察署に移送された岩見は、取調室で厳しい尋問を受けていた。だが岩見は、逮捕以降、完全黙秘を続けていた。村田刑事や遠藤刑事ら顔見知りとの雑談すら応じようとしなかった。
 取材の中でその事実を知った八田は、
「あのおっちょこちょいで、口から先に生まれたような男にしては妙案じゃな。誘導尋問でやってもない殺人を認めてしまわんよう、ボロが出ないように心がけているつもりじゃな」と岩見の戦術を評価する。
 結局、この日の東京日報の夕刊は、
『女性事件記者絞殺事件、容疑者逮捕。現場遺留品とDNAが一致か。容疑者の他社記者Iは黙秘を続ける』という小さなベタ記事になった。
 夕刊の締め切りを終え、少しの間、ホッとしているそのタイミングを狙い、東京地検の司法記者クラブから、山崎と浅野が警視庁の桜田記者クラブの方へと出向いてきた。
「お疲れお疲れ。で、どうだい、地検特捜部の動きは?」
 すぐさま東京日報ブースの奥へと2人を招き入れた相沢は、開口一番、切り出した。
「十中八九、明日か明後日には強制捜査に入るようですね」浅野が自信たっぷりに答える。
「根拠は?」
「かなり厳しい箝口令が敷かれているようで、誰も喋ってはくれないんですがね、地検の倉庫から駐車場に停めてある捜査車両に段ボールを束で積み込んでいるのを目撃しました」
 浅野の言葉に山崎が付け足してフォローを入れる。
「強制捜査の際の、押収品を入れる段ボールかと思われます。その数、ざっと数えたところ、200はありました。積み込んだ捜査車両は全部で5台です。一斉強制捜査は、まず間違いありませんね」
「ご苦労さん……それで、どうなんだい? 伊集院一郎はやっぱり賄賂を受け取っているようなのかい?」
 相沢はいきなり核心を聞こうとする。
 山崎と浅野が困ったように顔を見合わせる。
「それが……どうにも腑に落ちないんですよね」
 山崎が首を傾げる。「昨日も言いましたように、贈賄側は、このネタが世間に出てからというもの、一貫して、借りた金を返しただけと繰り返しています。これは銀行の裏付けもある話でして、贈賄側から切り込むことは難しいんですよね。事実、明日か明後日の強制捜査も、贈賄側へは入らないみたいなんですよ」
「贈賄側の強制捜査をしない? なぜじゃ?」
 八田が意外そうに尋ねる。通常、贈収賄の強制捜査は、証拠隠滅を防ぐため、収賄側と贈賄側、両方共同じ日に実行するのが普通なのだ。
「実は今日から、贈賄側のゴミ処理場建設会社は、社員旅行で、社員のほぼ全員がフィリピンに出発しています。帰りは5日後の予定です」
「変な話じゃのぉ。まるで、贈賄側が海外に出て、何も反論ができん隙に、収賄側だけ強制捜査をやって、是が非でも証拠を見つける算段のようじゃ」
「ええ。ガンさんが言うように、伊集院一郎が無実だとして、それでも強引に強制捜査を行うとなれば、その目的は一つしかありません。証拠をでっち上げ、無理矢理にでも伊集院を有罪にするつもりだということです」
 山崎は険しい表情で言い切った。
「相さんよ。どうするね? 明日の朝刊に、強制捜査を疑問視するカンジでそれとなく書いてみるかい?」
 八田が相沢の反応を窺った。
「いや。書くだけの証拠が全くありませんからね。とはいえ、強制捜査を肯定する記事も書きたくはないところですが。それよりも書けるとすれば、やはり、ガンさんの言葉ですよ」
 相沢の言葉に、八田、山崎、浅野が息を呑んだ。
「まさかキャップ、ガンさんの証言を記事にするんですか? 『女性事件記者殺人事件のI容疑者、伊集院一郎は無実だと叫び、逮捕される』とでも書くつもりなんですか?」
「いけませんか?」
 山崎の問いに相沢が屈託のない表情で答える。
「2日連続で特オチにしたため、本社がうるさいんです。もちろん事情は説明しました。そしたらサブちゃんから、それを記事にしろとしつこいのなんの……でも記事にするとしても、今、我々の手元にあるのはこれしかないんですから。仕方ないじゃないですか」
「ははーん。さては相さん、お主、それを記事にすることで、東京地検特捜部や伊集院一郎がどう動くかを見極めようとしておるんじゃな?」
 八田が相沢のやろうとしていることを先回りして推理する。
「正解です。ガンさんもそれを望んでいるのかもしれません……もっとも、記事にするのは明日の朝刊では早すぎます。かといって、遅すぎてもダメですが……ヤマさん、ガンさんが地検に送検されるのは明後日の朝ですよね?」
 相沢の質問に、山崎が指折り数えながら、
「ガンさんが逮捕されたのが今朝、つまり18日の8時24分です。刑事訴訟法第二〇三条によれば、逮捕から48時間以内に検察に送致せよとなっていますので、ガンさんが黙秘を続けていることから逆算しても、やはり身柄送致は、ギリギリの明後日20日の早朝になるはずです」
「ですね。では、記事は明後日の朝刊にドドーンとぶつけるとしますか」
 相沢の口元が少し緩んでいる。
「面白そうじゃのぉ。警視庁と東京地検に朝刊が届けられるのは毎朝6時頃じゃ。検事たちは、ガンさんを送致する準備で大忙しの中、ウチの記事を見るわけじゃな。検事の慌てふためく顔が今から目に浮かぶようじゃのぉ」
 八田もワクワクし始めている。
「でも、それで検事が急遽、送検をとりやめるってことはないでしょう?」
 浅野が素朴な疑問を投げかける。
「当たり前じゃ。送検しなければ釈放しないといかんからのぉ」
 八田が愉快そうに笑った。
 刑事訴訟法第二〇三条四項には、逮捕から48時間以内に検察送致できなければ、被疑者を釈放せよとはっきりと明文化されているのだ。
「遺留品のDNAが一致している以上、検察は100%送検するでしょう。ですが、ウチのスクープ記事を読むことで、検察も警察も、事件の裏に別の大きな何かが潜んでいることに気づいてくれるはずです」
 相沢の方針に、八田、山崎、浅野が大きく頷いた。

《つづく》

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