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ジェット三郎が適当に呟く
ジェット三郎のよもやま雑感記「イチゴを食べて涙した夜」
これを書いているのは、2022年4月28日。
新居浜のイチゴ直売所「ichigo okabe いちご直売所」さんの新店舗情報の取材でご縁があり、イチゴを分けてもらった。
ichigo okabe いちご直売所さんのNEW OPEN記事
(今年の直売所は2022年5月28日(土)でいったん終了となります)
その中で僕も1パックもらった。
冷蔵庫で冷やし、その夜の夕食後のデザートとして「ichigo okabe」さんのイチゴを口にした。
「美味い!」
お世辞抜きにおいしいイチゴである。
みずみずしくて、甘さも十分。色つやもいい。
今回食べたのは「あまおとめ」という品種のようだが、イチゴの有名品種の「とちおとめ」に似た食感と香りが味わえる最上クラスのイチゴだった。
調べてみて納得した。「あまおとめ」は、「とちおとめ」と「さがほのか」という有名品種を掛け合わせて(交配)、愛媛県で誕生した新品種とのこと。
道理で「とちおとめ」に似た食感と風味だったわけだ、と自分の味覚の鋭さもまだまだ衰えてはおらんね、と自画自賛しつつ、「あまおとめ」1パックのイチゴ全部をあっという間に食べ終わりそうになった瞬間、僕は背中から脳髄にビビビビビと電気が走ったような衝撃の疑問を呈してしまった。
「あれ、僕、イチゴ1パックをたった一人で食べきったのって、いつ以来だったっけ?」と。
記憶を遡るのだが、どうにもこうにも思い出せないのだ。
しばらく後、気づいてしまった。
「もしかしたら、僕は、人生において、イチゴ1パックをまるまる一人で食べきったことは、これまでに一度もないのかもしれない」と。
最初に言っておくが、僕は貧乏な生まれではない。祖父が地元(愛媛県南予地方)でかなり大きな商いで成功しており、その次男坊だった父も家業の一部をのれん分けする形で松山で独立していた。恵まれた幼少時代を過ごした記憶があるので、お金の問題ではない。僕は三男坊(だからペンネームがジェット三郎)で、幼少時代から学生時代に至るまで、家族内では絶対的兄弟ヒエラルキーの末端に位置していた。
その昔(昭和の時代ね)、イチゴは今よりずっと高級品で、子供が3人いるとして、3人に1パックずつデザートにイチゴを買い与える親なんてものは存在しなかった。我が家もその類であり、旬の時期、つまり毎年春から夏にかけて、イチゴが食卓に上がることはあっても、それは、1パックを家族(父と母と長兄と次兄と僕)の5人で分けて食べるぐらいが関の山だった。
それから僕は大人になり、短い間だったが一人暮らしをしていた時期。その頃は、スーパーマーケットでイチゴのパックを買うという発想はゼロだった。若い男性なら仕方ないことだ。果物より肉。果物より炭水化物、の頃である。
その後、運よく結婚できた僕にも家族が出来た。その後、ナンダカンダ(by 藤井隆)あって、僕は娘との2人暮らしを長く続けることになった。
娘は幼い頃からイチゴが大好物で、だから僕は、旬な時期はかなりの頻度で、食卓にイチゴを出した。
だいたい1パックを、夕食と翌日の朝食の2回で食べきるぐらいの分量に分けるのだが、その際、娘には5粒~7粒、一方の僕は1粒ぐらいの分配だった。娘からはいつも「パパも、もっと食べてよ」と言われ、その度に「パパはご飯作ってる最中につまみ食いしてるからいいんだよ」と返すのが常だった。(もちろん、つまみ食いはしていない)
そんな男手ひとつで育てた娘も今春に大学を卒業&就職し、僕の手を離れてしまった。
イチゴを1パック全部食べたことがなかったのも当然といえば当然のこと。娘が大好物の果物を、娘をさしおいて、どうして全部食べることができようか、むろん出来るはずがないではないか。
(ああ、そうか。もう、これから僕は、イチゴを1パック買っても、全部食べれちゃうんだ)
そう思った瞬間、ふいに涙がこぼれてきた。
悲しいからではない。
かと言って、娘の成長を手放しに喜んでの涙、でもない。
娘へ。
卒業おめでとう。
就職おめでとう。
パパは、君の大好物のイチゴを、君のことを思い出しながら食べてるよ。
またLINEします。
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