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新居浜・西条|健康とウェルビーイング

【後編】卵巣腫瘍とわたし。~24年前の診断から始まった、病気との歩み~

31歳で卵巣腫瘍と診断されたHさん(仮名)。セカンドオピニオンで信頼できる医師と出会い、薬による治療を選んだその後の体験と、今だからこそ伝えたい思いをお届けします。

「今すぐ手術じゃなくて、まずは薬で経過を観察していきましょう。」

卵巣腫瘍と診断され、最初の病院では手術を勧められた31歳のHさん。しかし、仕事や子育てをしながらの手術には、大きな不安を感じていました。そんなHさんに、セカンドオピニオンで出会ったM先生が示してくれたのは、薬による治療と定期的な検査を続けながら、病気と付き合っていくという選択肢でした。

 

今回は、まいぷれ新居浜をご利用いただいているHさん(仮名)から寄せられた体験記をもとに、24年前の診断から病気と向き合ってきた歩みの【後編】をお届けします。

☘️ まえがき ~Hさんからのメッセージ~

これは2002年当時の私の体験を振り返った記録です。医療は日々進歩しており、現在とは検査や治療方針が異なる場合もありますが、「気になる症状があれば早めに受診すること」や「納得できるまで医師に相談し、必要に応じてセカンドオピニオンも検討すること」の大切さは、今も変わらないと感じています。同じような不安や悩みを抱える誰かにとって、この体験記が少しでも参考になれば幸いです。

 

■「生理がつらい」は、あまり口にしなかった時代

今でこそ、PMS(月経前症候群)という言葉は一般的ですが、当時は「生理前がつらい」「出血が多い」ということは、大なり小なり誰しもが経験することだと思っていました。学生時代も、母親や友人とも、そうした話をする機会はあまりなかったな~と記憶しています。

 

大人になって妊娠・出産を経験し、やっと「病院で相談してみようかな」と友人に話せるように。その何気ない会話をきっかけに、ようやく私は婦人科の受診を決意したのでした。

重い腰を上げて、「ちょっと相談を……」くらいの気持ちで受診したため、まさか病名をつけられるなんて思ってもいませんでした。しかし、検査の結果として告げられたのは「卵巣に腫瘍らしきものがある」という現実。そして先生から出てきた「手術」という言葉。当時31歳の私には、とても重いものでした。

 

■手術をするということ

「手術をすることになったら、開腹手術で卵巣を取る。もしも癒着が進んでいたら、子宮ごと摘出になる。」――当時の診察では、そんな説明を受けました。

 

(手術は嫌だ……!)

どうしてもその気持ちが拭えず、手術について前向きに検討することができませんでした。

 

なぜ、それほどまでに手術が嫌だったのか。

当時の私は、小学生の娘を育てながら仕事をしていたため、まずは「入院すること自体を避けたい」という現実的な問題がありました。それに加え、「手術=怖い」というイメージが先行し、ドラマで見るような手術台に自分が乗る姿なんて、とても想像できなかったのです。

 

さらに、「卵巣がなくなったら、ホルモンバランスはどうなるの? 術後の体調は?」という目に見えない不安も押し寄せました。さまざまなハードルがありましたが、私の心が一番拒否していたのは、「卵巣や子宮を取ることで、自分が女性ではなくなってしまうのではないか」という恐れだったのかもしれないと、今となっては思います。

 

そんな不安と恐怖の中にいた私に、M先生が示してくれたのは「今すぐ手術ではなく、薬で卵巣腫瘍を小さくして、経過観察をしていきましょう」という道でした。

摘出してしまえば、将来的ながん化への不安を減らせるという安心感はあるかもしれません。けれど、その安心感を得るために払うリスクや不安が大きすぎた私にとって、先生のその言葉は、まさに「救い」そのものでした。

 

■先生を信頼するということ

私の気持ちに寄り添い、そんな「救い」を与えてくれたM先生を、私は心から信頼するようになりました。

 

その後の通院でもM先生は、いつも私の話をじっくりと聞き、病状や今後の治療法について本当に丁寧に説明してくださいました。もちろん、私だけではなくどの患者さんにも丁寧な先生です。その分、診察までの待ち時間は少し長かったのですが、待合室の空気感からも、集まる患者さんの誰もが先生を深く信頼しているのだということが伝わってきました。

 

当時、導入されたばかりだったのか、あまり得意ではない様子でキーボードとマウスを操作し、一生懸命に電子カルテへデータを打ち込む姿は愛らしく、親しみやすさも感じられました。

 

専門知識の高さだけでなく、患者一人ひとりに真摯に向き合ってくれる誠実さと温かさ。「この先生となら、治療に向き合っていける」――そう確信できたことが、不安でいっぱいだった私の大きな支えになっていきました。

 

■リュープリンという選択

手術ではなく、まずは薬で腫れを抑えて経過を見ていく――。そう決めた私は、「リュープリン」という注射を4週間に1回投与し、まずは半年間様子を見るという治療方針を選びました。

当時、説明を受けて特に気になったのは「費用」と「副作用」のことでした。

費用は、確か1本あたり12,000円ほどだったと思います。さらに副作用として、頭痛やほてり、ホットフラッシュ、肩こり、不眠などが現れる可能性があること、そして肝機能への負担を考慮して「連続して投与できるのは最長半年まで」といった説明を受けた記憶があります。一時的に生理を止め、人工的に更年期に近い状態を作る治療法だと聞き、漠然とした不安も感じました。

 

しかし、治療を始めるということは、病気と向き合うと同時に、そうした体の変化や副作用とも付き合っていくということ。「手術を避けられる可能性があるなら」という思いを胸に、私は治療の第一歩を踏み出しました。

 

■セルフケアと、友人のお父さんの優しさ

病院での薬物治療を進める一方で、私は自分なりにできる体調管理も意識するようになりました。どこで知った情報だったかは忘れてしまいましたが、「お腹(子宮のあたり)を温めると良い」と聞き、血行促進や痛みの緩和に少しでもつながれば……と試してみたのが「びわの葉温灸」でした。

 

ありがたいことに、友人のお父さんがわざわざ私のためにびわの葉を用意して届けてくださり、さっそく試してみることに。

 

びわの葉をお腹の上に置き、その上に温灸用の燃えない紙を敷いて、直径2cmほどの棒もぐさを押し当てていきます。火傷を防ぐためにガーゼを挟みながら、じんわりとお腹が温まる程度に、当てる場所や時間を自分で調整していました。

医療的な効果というよりは気分的なものでしたが、「なんとなく効いているかも」と感じられるだけでも心は落ち着くものです。少し手間はかかりましたが、私を気遣ってびわの葉を用意してくれた友人とそのお父さんに感謝しながらゆったりと過ごす時間は、とても穏やかで心安らぐひとときでした。今でもとても懐かしく、温かい思い出として心に残っています。

 

■「納得できる選択」と、長かった道のり

リュープリンによる治療は、半年間継続したあと一度お休みを挟み、状態を見ながら再開する――というサイクルを繰り返すことになりました。結果的にこの治療と定期検査のスタイルは、最初の2~3年ほど続いたと思います。

 

4週間に一度通院し、副作用と付き合いながら検査を受ける日々。

「腫瘍が大きくなっていない=悪化していない」という結果を確認できることは、当時の私にとって何よりの安心材料でした。

 

最初は「手術を避けたい」という思いから始まった薬物治療でしたが、自分なりのセルフケアも取り入れながら病気と付き合っていく中で、この選択は決して「逃げ」ではなく、自分自身が本当に納得して選んだ前向きな道だったのだと、今になって強く感じます。

 

子宮内膜症は女性ホルモンの影響を受けるため、「薬で腫れを抑えながら上手につき合い、閉経を迎えて自然と落ち着くのを待つ」というのも治療選択肢の一つでした。しかし、当時30代前半だった私にとって、「閉経までコントロールしながら状態を維持していく」という道のりは、どこか気の遠くなるような長い年月にも思えたものです。

 

それでも、通院のたびにM先生が私の不安に寄り添い、優しくかけてくれた言葉が、先の見えない道のりを歩む力になりました。

 

■治験への挑戦と、広がっていった視界

年単位で治療と向き合っていく中で、M先生から「治験」について説明を受ける機会もありました。

治験とは、開発中の新しい薬や治療法の承認に向けて行われる臨床試験のこと。当時は「まだ承認されていない治療を受けられる可能性があり、費用面でのメリットもある一方で、偽薬(プラセボ)が投与される可能性や、定期的な検査の負担が増える」といった説明を受けました。また、参加にはさまざまな条件を満たす必要があったようです。

 

「手術は嫌」と医療に対して不安でいっぱいだった私が、気づけば「先生はどう思いますか?」と率直に尋ねるようになっていました。M先生の言葉なら、不思議と素直に心に届くからです。先生から「前向きにやってみてもいいのでは?」という言葉をもらい、私は治験への参加を決めました。

 

治験に関する記憶は少し曖昧なのですが、劇的な効果があったというよりは「現状維持(悪化していない)」という経過だったと思います。

 

それでも、自分にとってこの体験は大きな意味がありました。

最初は「自分の病気を良くしたい」という想いだけで始めたことでしたが、いつしか「このデータが、将来同じ病気で悩む誰かの役に立つかもしれない」という気持ちへ変化していったのです。

 

M先生との信頼関係があったからこそ踏み出せた挑戦であり、病気と向き合う自分の視界が少し広がったような、貴重な体験でした。

 

■薬を手放し、24年後の今も穏やかに寄り添って

治験を終えたあとは薬を使わず、定期検査だけで経過を見ていくことになりました。状態が安定していたこともあり、その後6~7年ほどは薬を使わずに過ごすことができたのです。

 

毎回の検査で腫れが大きくなっていないことを確認し、がん検診もクリアしていく日々。「悪くなっていない」という結果に胸をなでおろし、また次の検査へ向かう――。そうやって、小さな安心を一つずつ積み重ねていきました。

24年前、31歳で「卵巣に腫瘍があります」と告げられたときには、これほど長く病気と付き合っていくことになるとは思ってもいませんでした。当時は「閉経まで」と言われても、どこか気の遠くなるような話に感じていたものです。

 

それでも、最初にM先生が示してくれた「手術をせず、閉経まで定期検査をしながら付き合っていく」という方針を信じ、一歩ずつ歩み続けてきました。

 

気がつけば無事に閉経を迎えることができ、不安でいっぱいだったあの頃の私が望んだ通り、卵巣も子宮も残したまま、一度も手術をすることなくここまで来ることができました。

現在も、半年に一度の定期検査やがん検診は欠かさず受けています。それでも、特別な治療をすることなく元気に仕事を続けられている今の日常は、あのとき一つひとつの選択を重ねてきた時間の先にあるものなのだと感じます。

 

■24年を振り返って――変わりゆく時代と、私から伝えたいこと

この24年間を振り返ってみて、一つだけ後悔していることがあります。それは「もっと自分の治療の記録をしっかりと残しておけばよかった」ということです。

 

当時はまさか自分がこうして体験を人に伝える機会があるとは思ってもおらず、いつ、どんな治療をしてどう感じたのか、うっすらとした記憶をたどりながら思い出す場面もありました。

 

今は、マイナポータル(マイナンバー)などを活用して自身の医療や服薬の履歴をデジタルで記録・確認できる時代になり、これは自分の体と向き合う上でとても良いことだと感じています。薬の副作用や身体の変化、先生と相談しながら重ねていく選択のプロセス――。それらを記録に残しておくことは、自分自身を守り、納得のいく治療を選択するための大きな道しるべになるはずです。

 

そして、記録を残すことと同じくらい大切なのが、「自分の体について声をあげること」なのかもしれません。

 

私が診断を受けた24年前と比べると、女性の健康について語られる機会も少しずつ増えてきました。かつては、生理の悩みや女性特有の不調を口にすることに、どこか気恥ずかしさを感じてしまう空気がありました。けれど最近は、フェムテックやフェムケアという考え方が広まりつつあります。女性の健康について、以前よりも周囲と話したり、テクノロジーやケアを活用したりしながら向き合いやすい時代になってきたのだと感じます。

 

痛みや不調は、決してあなたの心が弱いからでも、恥ずかしいことでもありません。それは、自分の体が出してくれている大切なお知らせです。

 

医療も、社会の受け止め方も、この20数年で大きく前へと進みました。

だからこそ今、体の違和感に悩んでいる方には、どうか躊躇せずに専門医を訪ねてほしいと心から願っています。病院に行くのは勇気がいりますし、恐怖や不安もあるかもしれません。ですが、一人で抱え込まずに、一歩踏み出してみることで心がすっと軽くなる瞬間がきっとあります。

 

診断や治療方針に納得がいかなければ、納得できるまで相談すればいいですし、私のようにセカンドオピニオンを選択する自由もあります。あなたの声にしっかりと耳を傾けてくれる信頼できる医師に、きっと出会えるはずです。

あなたが自分の体とじっくり向き合い、安心して声をあげられる世の中になりますように。

過去の私と同じように悩むあなたの背中を、この体験がほんの少しでも押すことができたなら幸いです。

✏️この記事を書いた人

■ 体験談の提供:Hさん(新居浜市在住)

■ 企画・編集:まいぷれ新居浜編集部

今回はHさんの貴重なご体験と思いを届けるため、当時をふりかえる手記をもとに記事を作成しました。この記事が、誰かの一歩を優しく照らす灯りになりますように。