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ジェット三郎の『映画&ドラマ&家電のちょっとウンチクよもやま話』

でこ伝三太郎の、新居浜・西条トッポ話ほら話「でーだらぼっちの涙」

新居浜・西条を舞台にしたトッポ話ほら話を、作家・でこ伝三太郎が、でたらめな方言で面白おかしく語ります


これは、かつて愛媛県教育委員会が1970年代に作成、県内の全小学校に配布した名作「愛媛のむかし話」にインスパイアされた、でこ伝三太郎のオリジナルほら話です。

 

小さなお子さまがいらっしゃる方は、是非とも、声に出して、読み聞かせてあげてください!

 

でーだらぼっちの涙

むかーしむかしのことじゃった。

 

新居浜がまだ「神野郡」と呼ばれておった頃、離れ小島の山に、一人のでーだらぼっちが住んどったんじゃと。

 

でーだらぼっちとはのぉ、要するに、大きな大きな妖怪のことじゃ。

 

 

他の国(地方)のでーだらぼっちの中には、農耕に欠かせない牛を喰ったり、ひどいヤツは、村民の赤子をさらったりと、悪いことばかりをしくさる、とんでもねぇヤツも多かったらしいんじゃが、新居浜の離島の、でーだらぼっちは、とーっても人懐っこい、優しいヤツじゃったんじゃと。

 

そげなもんじゃったから、新居浜のでーだらぼっちは「でか神(がみ)どん」として、島民たちにも愛されとったんじゃ。

 

山の奥に住んでおったでか神どんじゃったが、時々、島民たちが住む村に降りてきては、島民たちが重い荷物をえんやこらひーこら汗垂らしていると、「おいが助けてやるべ」と手を差し伸べてくれたりもしたんじゃっど。

 

ある時なんぞは、台風で大波が漁村に押し寄せ、港に停泊していた釣り船が転覆しそうになっているのを、持ち前の怪力で、一艘残らず、波が届かない高台に運んでくれたんぞなもし。

 

 

そんなある日のことじゃったぞ。

10年に一度、いや30年に一度の、日照りが長く続く年があったそうな。

 

島の山頂から流れる川の水がなくなった。

 

次にため池が空になった。

 

みるみる田んぼは干上がり、畑の作物も枯れていく。

 

人はもちろん、牛も鶏も、水がなくて、困り果ててしまっとったんじゃ。

 

 

 

苦しい時の神頼みとばかりに、島に唯一ある神社の神主は、毎日毎日、雨ごいの祈祷をするんじゃったが、効果はなかったんじゃ。

 

そんな最中(さなか)のことじゃった。

 

いきなり、でか神どんが山から降りてきては、悪さを始めたんじゃ。

 

たとえば、農耕用の手押し車をひっくり返して、使えなくしてみたり。

たとえば、山に続く道に大岩を置いて通せんぼしてみたり。

 

たわいのない悪さではあったが、それまで、あれだけ、島民に優しく、愛されてきたでか神どんが、人が変わったように、悪さをしまくるもんじゃったから、みんな、驚いた。

 

困り果てた島民たちは、島に唯一ある神社の神主に相談する。

 

実は、この神主、でか神どんのいっちばんの仲良しじゃった。

 

神主さまは、「むむむ」と眉をしかめながら、「でか神どんにお仕置きをせねばならん」と小さくつぶやいた。

 

「どんなお仕置きですか」島民が聞く。

 

「叩くのじゃ。叩いて叩いて叩きまくるのじゃ。でか神どんがボロボロ泣いて、もう悪さしませんと、泣いて謝るまで、叩いて叩いて叩きまくるのじゃ」神主さまは、目を閉じたまま苦悩の表情で答えた。

 

「そんなことをして、仕返しされませんかね」

 

「そんなヤツじゃないことは、おめえらが一番知っとろうが」

 

「じゃあ、なんで、今、あんな悪さをするんですか?」

 

的を得た島民の質問に、神主さまは「うぅっ」と一瞬、言葉を詰まらせるが、「ええい! とにかく、叩くのじゃ! 島民総出で、でか神どんを山の頂に追い込んで、叩いて叩いて叩きまくるのじゃ」

 

島民たちは、神主さまのご命令あらば、とばかりに、それぞれ棍棒(こんぼう)や船の櫂(かい/オールのこと)を手に取るや、でか神どんの住む山の奥へとずんずんずんずん登っていく。

 

「見つけたぞ! でか神どん!」

山の奥で、でか神どんは、なぜか麓(ふもと)から登ってくる細い道の真ん中に、お尻をこっちに突き出した状態で四つん這いになっていた。

 

「でか神どん、悪さをした罰じゃ罰じゃ罰じゃ!」

率先して、棍棒をでか神どんのお尻に当てたのは、神主さまじゃった。

 

「堪忍してけれ」

でか神どんは、反撃することなく、四つん這いのまま、どんどん山の頂きに向かって登っていく。

 

 

 

 

「皆のモノ、叩け叩け! 叩きまくるのじゃ!」

神主さまの悲痛な叫び声を契機に、それまでためらっていた島民たちも覚悟を決め、一斉に、でか神どんを叩きまくる。

 

背中を叩き、お尻を叩く。

 

叩いて叩いて叩きまくる。叩きまくる。叩きまくる。

 

ビシビシビシ!

 

ついに、我慢しれなくなったのか、でか神どんがワンワン泣く。

 

ビシビシビシ!

 

ワンワン泣く。

 

ビシビシビシ!

 

ワンワン泣く。

 

するとどうじゃ。

 

でか神どんの二つのマナコからあふれ出た涙は、みるみる滝になり、枯れ果てていた川に、水が流れ込むではないか。

 

 

川の水は、みるみる空っぽになっていたため池を満水にし、みるみる、干上がっていた田んぼに、あふれんばかりの水が張った。

 

ばんざいどっかーんじゃ!

ばんざいどっかーんじゃ!

 

みんなが大喜び。

 

島民たちは山の頂きで、祭りのように歓びを祝った。

 

そんな中、ふとみると、神主さまがでか神どんの、真っ赤に腫れ上がったお尻や背中に傷薬を塗っているではないか。

 

「よぉ我慢したの。でか神どん、よぉ我慢したのぉ」

 

神主さまも泣いていた。

 

「勘弁してけつかれ。勘弁してけつかれ。痛かったのぉ、辛かったのぉ」

 

島民たちは、これはどうしたことじゃ、と、喜びの舞を舞うのも忘れ、神主さまとでか神どんの会話に耳を傾ける。

 

「でえじょうぶだ。これは、おいが思いついたはかりごとじゃ。おいが本気で泣くと、その涙が滝になって、日照りを救えることを思い出したのは、おいじゃ」

 

「じゃからといって、お前に、島民から恨まれる役割をさせるのは、辛かった」

 

「でえじょうぶだ。でえじょうぶだ」

 

いつの間にか、島民たちはみな、でか神どんと神主さんの周りに集まっている。

 

みんな、泣いている。

 

みんな、泣いている。

 

島民、みんな、泣いている。

 

「ごめんよぉ、でか神どん」

「知らんかったとはいえ、叩いて悪かったのぉ。痛かったのぉ」

島民たちは、口々に、でか神どんに謝っては、傷ついた体を優しくさすってあげた。

 

「ありがとんね。ありがとんね」

でか神どんは、島民たちの優しいたくさんの手のひらに包まれて、満足そうにうなずき続けるのだった。

 

 

この後(のち)、日照りが続くと、でか神どんを泣かすために、叩くのではなく、でか神どんの全身を、鶏の毛で作った羽根ぼうきで、コチョコチョコチョコチョこちょばせ、泣き笑いさせて、涙を出させる方法に変わったのだという。

 

 

 

その際、

「やめてけれ、やめてけれ、やめてけーれ、でかでか」

と、でか神どんが笑いながら泣きながら、歌うその歌が、その後、昭和の大ヒット曲「老人と子供のポルカ」のベースになったとかなってないとかは、また別のお話じゃ。

(なってないです。なぜなら、これは、でこ伝三太郎のオリジナルとっぽ話なのだから)

 

でこぴん、ぴんぴん、へっぽこのぷー

 

またね

 

さし絵:みお(6歳)

でこ伝 三太郎

愛媛県生まれ。映画・テレビ・小説稼業30年。主戦場はドラマ畑だが、時々情報・報道・バラエティー番組なども手掛ける。好きなお酒は芋焼酎のロック。(ジェット三郎は、三太郎の三つ子の兄という設定のようです)

 

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